2011-08-17

フェイスブック恐るべし

 インターネットを「しょせんバーチャルだから」とか未だに言ってる人がいますが、ネットゲームはバーチャルでも、フェイスブックやミクシィは、今や現実の通信手段になっています。
 そうです、電話やメールと同じです。
 相手は生身の人間であり、そこでの発言は現実的意味合いを持ちます。

 先ほどフィリピンレストランで知り合ったフィリピン好きの友人が、フェイスブックでステータスを「交際中」にしたまではアリですが、まだ会ったこともないチャットフィリピーナを「交際相手」に登録していたので、その危険性を説いて「独身」に戻してもらいました。(^^ゞ

 何が危険って、彼はこれから恋人または結婚相手を探そうとしている最中なのに、自分から「フェイスブックを遊びと捉えず真面目に交際相手を探す手段として利用しているフィリピーナ」をすべて排除する行動に出た事実を認識していませんでした。
 相手のチャットフィリピーナは、フェイスブックに複数のアカウントを持ち、彼を「交際相手」に指定したアカウントは本名ではありませんから、当然彼女は「遊び」でやっています。
 ところが国際結婚を目論む我々日本人が、本来ターゲットとしなくてはならない真面目なフィリピーナたちは、本名のアカウント一つだけでフェイスブックを利用しています。
 当然ながら我々は、その真面目なフィリピーナだけを意識した言動をフェイスブック内で取らなければなりません。
 父親と娘、あるいは祖父と孫で登録するなら「遊び」で通りますが、「交際相手」はシャレになりません。彼の周りには、遊びでフェイスブックを楽しむフィリピーナしか残らないでしょう。危ないところでした。


 これは「金」の使い方にも言えることです。
 「金」に対する捉え方も人によって違いがあります。
 「金」はあくまで価値を変換するための道具に過ぎない、「それ自体に何の意味もない」とするグループと、「金」さえあれば何でも可能になる、「金で買えない物はない」という拝金主義グループです。
 ハッキリ言って、非拝金主義の人たちは拝金主義者が嫌いです。拝金主義は言動に現れますから、非拝金主義者たちは自然に拝金主義者を遠ざけるようになります。
 一方拝金主義の人たちは、世の中に拝金主義以外の考え方があるなんて思ってもいないので、遠ざかって行く人たちに気づきません。
 金に変換できない物にこそ価値があると私は思っています。

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